「不快な音」って、なんで不快なんだろう?

こんにちは、Sol@です。
先日、電車に乗ったときのこと。斜め向かいに座っていた男性が、とても大きないびきをかいていました。周囲の人が何度も振り返るほどの音量とリズム。
そのとき、私は思ったんです。
「この音、なんでこんなに不快に感じるんだろう?」
味や匂いが「腐っているもの」や「毒があるもの」に対する生理的な反応だとしたら、「不快な音」にはどんな意味があるんでしょう?
というわけで、今回は「音の不快さ」について、コトトコしてみたいと思います!
1. 不快ってなんだろう?
まず考えたいのは、「不快」という感覚そのもの。
- 耳を塞ぎたくなる
- イライラする
- 集中できない
こうした反応は、視覚よりもむしろ聴覚に強く現れることが多い気がします。黒板を引っかく音、赤ちゃんの泣き声、歯医者の機械音、いびき……。
それらを「嫌だ」と感じるように、私たちはなぜ“できている”のでしょうか?
赤ちゃんの泣き声が「つらい」と感じるのはなぜ?
2. 「命を守る」ための音感覚?
ここでひとつの仮説が浮かびます。
「不快な音」とは、危険を察知するセンサーでは?
たとえば:
- 急な大音量の音 → 落雷・崩落など命に関わる危険
- 高周波や擦れる音 → 神経を過敏に刺激、強いストレス反応
- リズムのない雑音 → 脳が予測できず混乱しやすい
つまり、「不快」と感じることで「離れろ」「注意しろ」という警報が鳴っているのかもしれません。
3. 「文化」が作る不快?
一方で、不快さには個人差や文化差もあります。
- 日本人にとって癒しの雨音が、他の文化圏では「憂鬱の象徴」だったり
- 民族音楽の楽器が「騒音」に感じられることがあったり
これは、「音の意味」が文化的記憶に支えられているという証でもあります。
つまり、不快な音は生理的な本能と、文化的な価値観のハイブリッドなのかもしれません。
そういえばラーメンの啜り音も不快な人がいるっていうよね
🪷 コラム:じゃあ、心地よい音ってなに?
不快な音が「避けるための警報」なら、心地よい音は「安心の証」かもしれません。
- 波の音や鳥のさえずり → 危険がないことを知らせる自然のBGM
- やさしい声や子守唄 → 社会的なつながりの合図
- 音楽のメロディやハーモニー → パターンを脳が心地よく予測できる
これらはすべて、安全・リラックス・予測可能性と関係していると言われています。
不快な音が「ここから離れて!」というサインなら、
心地よい音は「ここにいていいよ」という、包み込むような合図なのかもしれません。
4. まとめ:音に耳をすませば、心の奥が見えてくる
音に限らず、「不快」という感覚は、生理的な本能に根ざしていながら、文化や個人の経験によっても形づくられています。
そしてその裏返しには、「心地よさ」もある。
不快な音も、心地よい音も、どちらも自分と世界との関係を教えてくれるシグナルなのかもしれません。
次に何かの音にイライラしたり、ほっと安心したりしたときは、ちょっとだけ問いを投げかけてみてください。
「ねぇ、その音って、私に何を伝えようとしているの?」
その問いが、あなたの世界をコトトコと広げてくれるかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!